先生方の活躍の場はもっとある

 

 

●先生方の活躍の場はもっとあります...

 この項目は、「全国工業高校の工業・技術の若い先生に読んで頂く為につくりました」 
 S30年、福岡市立博多工業高校建築科教師(1932/2月生)、卒業生はじめ特に専門の建設業界の方から色んな面で助けて頂きました。この項目の内容は、技術・工業・職業・理科等を選択してある中学・高校の先生の将来の生き方を含めて参考になれば幸いです、なると信じています。
 教師をして4年程でした(それまでは大きな精神病院長宅や個人住宅等を数件設計)、市内の建築設計事務所勤務の卒業生が特殊建築物の構造計算の依頼を持ってきました、”私の紹介する先生はこれぐらいは直ぐ計算出来ます”と言ったので絶対に断らないで下さい、断ると私が恥をかきますとの厳しい条件でした。この事柄は、昨年出版した「子供の頃は”ボンクラ”でもよか」、(出版社は福岡市の海鳥社の34ページを参照にして下さい。
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表紙はゴッホの跳ね橋を図面にした(週刊誌と同じ大きさ)
 それ以来清水建設竹中工務店八幡製鉄(今の新日鉄)に関連した構造計算の依頼が多くなり、手計算でまだ30%はしていた退職時の60歳まで続きました。退職時までに大小の構造物(建物、煙突、海洋構造物)を合わせれば 600 は残りました。ただし楽ではありませんでした。依頼の内容は外注だから仕方ないけど構造計算の難しい物や特殊な構造物が多く、学校が終えて(生徒との柔道練習の後)からの仕事ですから多くの毎日が夜の2時前に就寝することはありませんでした、特に若い頃は徹夜はしばしばでした。でも教育の指導内容は上がり、他社との付き合いも多くなり生徒の就職先の確保にもつながりました。(これらの事柄は前の項目にも述べています)

特に記憶にのこったもの(60歳まではすべて手計算でした)
30歳の中頃。長崎造船所(下中上段に、30105tの3段走行クレーンを持つ)
40歳頃。羽犬塚近くのブリジストンのタイや倉庫(7棟の山形連続ラーメン屋根)
50歳頃筑紫野市諸田の農業者スポーツセンターの体育館(当時西日本唯一の立体トラス屋根)
その外20代の終わり頃「福岡市の地盤構造図制作」これは日本最初の都市地盤構造図です。
 年間の土日曜の半数は札幌~沖縄まで構造関係の講義をしました。
 
 
 これら内職の仕事は周囲の非難も多いけど教師には「教育公務員特例法」もあり、税金を完納すればなんら問題はありません、ただし任命権者の許可は必要になります。私は若いころ邸宅を設計した有名な精神病院長にお願いし、友人だった福岡市長から教育長をえて直接に許可を貰いました。校長に頼んだら教育委員会とかにも書類が廻りややこしくなる(後の項目にも記述)。

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穂高建築研究所
 これらの仕事は全ての教師としてとても役にたちます。今はコンピュターの時代ですから私達の時代と違いどんな内容でも的確に短時間でスピーディーに色んな仕事が処理出来ると思います。あまり周囲に気を使わず心配なくまた躊躇なくやって下さい、ただし管理職になろうとか、眼先の学校内での出世なんか考えてはダメです、飽くまでも技術者・専門家としての成功を目指さなければなりません。人生は長い退職後も結構時間があります私の知った元管理職者・校長で退職後定職のある方を一人も知りません。若い内から専門家・技術者としての生きる決意を持って下さい、何よりも生徒の為にも貴方の為にもなります。

 今や、生活するには「資格」が必要です、私は幸いに構造計算の専門技術を修得できました、皆様もそれぞれの専門の道を極めて下さい建築士にも資格が必要ですから40歳代までは福岡市を中心に九州一円で土日祭日は資格協会などの依頼で各地で講義をしてきました、50歳代になりますと関西の各都市からの依頼もあり、更にブーイングの中に”博多の先生を呼んで来い”とかもあって名古屋、北陸更に札幌から沖縄まで講義をすることになり数年前まで続きました。退職後の一時は市内の専門学校にも席を置き、終始私は専門の仕事をすることができまた。

 先生方も将来を見据え,思い切って専門とする会社等とタイアップし、持っている技術の研鑚に更に努力して下さい。必ずや生徒も貴方の生涯を幸せにすることが出来ると信じています。

 日本j人はいまや100歳以上の方は3万人を超えています、2050年頃には優に30万人以上は超すでしょう。これは定年後の時間が長いことを意味します、私も定年後25年になりましたが幸いこの間、専門の仕事が幾らかでも続きました(今年から眼が少し悪くなり辞めました)、皆さんも定年後のことも考え、若い内(40歳まで)までに応用の利く技術を養っておいてください。
 
歳老いて、全てでないでしょうが精神科の医者によりますとボランテイアばかり続けるとボケが進行するそうです、やはり人間は責任のある仕事を続けることが大切です。

  当然収入もあります、お陰で研究費も出来、多くの世界の有名建築物を見て回ることができました。先生方、人様の批判ばかりせず(心の小さい者が人の批判ばかりする)持ってある技術を生かしてください、
 若い先生、頑張れ。

教育公務員特例法」要約
  17条、21条には、教員は絶えず研究と教養に努めなければならないことと、教員は任命権者の認める場合はその事に従事することが出来ることが記されています、また報酬も受けて良いことになっています。
 S30年代の当時は、日本建築学会や日本建築設計協会では、勉強と研究のため、ある程度は設計に納税義務を守ることを条件として、参加することを奨励していました、素晴しい時代でした

お願い(このブログ、他科の先生や後輩の先生に読むように伝えて下さい)

学生(私)の研究を自分達の研究にして発表した教授
  も読んで下さい。(面白いです)

公務員教師(給料が確実に入る)を30年も続けていると、人様に頭を下げることが出来なくなる。若い内から技術的な内職をして、感謝して謝礼を貰えることを覚えたがよい
●高齢になりました、眼も大分悪くなりました、ブログも今回が初めてです故コメントは控えさせて頂きます。